法律ノート 第1495回 弁護士 鈴木淳司
Oct 19, 2025
先月、財界要職の方のお招きで前経済再生担当の赤沢亮正大臣と夕食を共にさせていただき連絡先の交換までさせていただきました。
アメリカ連邦政府との関税交渉の過程についてかなり日本の行政、特に財務省や経産省の優秀な方たちも活躍されたということを聞きました。
本当にお疲れ様でした、と言う所感です。
そしてその夕食から一ヶ月も経たないうちに、また日本の政局は混乱し、あらたに組閣されるであろうということです。
強いリーダーが出てきません、というか出にくい状況に日本の政治はあるのでしょう。
本当に国益を考えて政治家の方たちは動いているのだろうか、憂慮しています。
国内の諸問題の解決や経済の充実もありますが、せっかく築いてきたアメリカとの外交はどうなってしまうのでしょうか。
理念は良いのでしょうが、方向性が明らかな、プラグマティックな政治というのが今日本には必要ですよね。
アファーマティブ・アクションについて(1)_1495
さて、今回からまた皆さんと新しくいただいている質問について一緒に考えていきたいと思います。
いただいている質問をまとめると、「日本でアメリカ人男性と結婚し、その後カリフォルニアに移住して20年ほど暮らしています。私達には一人息子がおりまして、来年には大学に進学したいと本人も願っています。できればカリフォルニアにいてもらいたいと両親は願っていますが、色々な考えを息子はもっています。大学進学について興味を持って私自身も親として調べていたところ、大学入学の際のアファーマティブ・アクションが撤廃されている、といった記事を多くみかけます。アファーマティブ・アクションというのは、一般的に差別等の歴史があることから、人種が絡んでいる政策ということは理解しているのですが、一方でこの撤廃というのが、どのように私の息子の大学進学に影響するのか漠然としかわかりません。どのように法律が変わって現在に至るのか、私が理解できるように取り上げていただけないでしょうか」というものです。
ちょうど、今の時期は大学進学のための申請が佳境を迎えるときですから、このトピックもかなり以前にいただいていましたが、時期的には良いものだと思って取り上げさせていただいております。
長い文章の質問をいただいて端折って取り上げさせていただいていますが、白人ではないアメリカ人男性と日本人女性の間に生まれたお子さんの大学進学について、憂慮されて質問をされているということだと思います。
私自身も本格的に法律を勉強しはじめて、アメリカ憲法の判例を紐解いているときに、無視はできない公民権運動に関する判例に接しました。
後にも先にも法律の本を読んで涙がでてしまったのは、この勉強をしたときだけです。
一方で、アメリカにおける人種に対する考え方というのは、根深い対立があるものだ、と思い知らされたように覚えています。
とにかく今回頂いている質問を含め、アメリカ社会では重要な法律的・政治的なトピックであるアファーマティブ・アクションについての流れを、もちろん法律的な観点のみになりますが、質問者や皆さんに理解していただき、読者の方々各自がどのように考えるのか、紐解いてみてください。
私も自分の意見は差し控え、法律的にどのような変遷でアファーマティブ・アクションがアメリカ社会で考えられてきたのか、できるだけ客観的に考えたいと思います。
17世紀初頭にアフリカからの強制的な奴隷輸入がアメリカではじまりました。
特に南部のプランテーション経済は、タバコや綿花の栽培を支える安価な労働力として、奴隷制度に依存していました。
奴隷とされたアフリカ系の人々は、法的には人間ではなく「所有物」と見なされていました。
白人がアフリカ系の人を支配するという人種的階層構造が構築されていきました。
1861年に起こった南北戦争は、この奴隷制度の存続をめぐる対立が原因の一つでした。
北部の勝利を経て、1865年に憲法修正第13条が憲法の一部として発効し、奴隷制度は公式に廃止されます。
約400万人の奴隷が解放されました。
「解放」といっても、本当に自由と平等を手にしたのかというと、南部ではこの解放に抗った法律が次々に制定されました。
たとえば、「ジム・クロウ法」として知られる一連の人種隔離法です。
19世紀末から20世紀半ばにかけて、南部諸州で次々と制定されたこれらの法律は、公共のあらゆる場面で人種に基づいた厳格な分離(セグリゲーション)を強制しました。
鉄道の車両、バスの座席、学校、レストラン、トイレ、水飲み場、公園のベンチに至るまで、すべてが「白人用(For Whites)」と「有色人種用(For Colored)」に分けられました。
この隔離政策は、1896年の「プレッシー対ファーガソン裁判」において、連邦最高裁判所が「分離すれども平等(Separate but equal)」という理屈を合憲と判断したことで、法的な正当性を得てしまいます。
しかし、その現実は名ばかりの「平等」であり、アフリカ系アメリカ人に提供される施設やサービスは差異がありました。
教育においては、教科書や校舎の質に歴然とした差があり、医療へのアクセスも制限されていました。
さらに、読み書き能力テストや人頭税といった不当な手段で投票権が事実上奪われ、政治参加の道も閉ざされました。
ジム・クロウ法による差異の存在が続く中、抵抗する動きは常に存在していましたが、1950年代から60年代にかけて「公民権運動(Civil Rights Movement)」として社会変革運動に発展します。
この運動の転機となったのが、1954年の「ブラウン対教育委員会裁判」です。
この裁判で、連邦最高裁判所は、公立学校における人種分離は本質的に不平等であり、憲法に違反するとの歴史的判決を下しました。
これにより、「分離すれども平等」という半世紀以上続いた原則が覆されました。
この判決が出ても南部の抵抗は根強く残りました。
1955年、アラバマ州モンゴメリーで、ローザ・パークスという一人の黒人女性がバスの白人専用席を譲ることを拒否し逮捕され、事件となりました。
この事件をきっかけに、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が指導者となり、市内のアフリカ系アメリカ人コミュニティが一丸となって、381日間にも及ぶバス・ボイコット運動を展開しました。
この粘り強い非暴力の抵抗は、最終的にバス車内での人種隔離を違憲とする最高裁判決に至り、キング牧師の名を全国に知らしめました。
今でも、彼の名前をつけた祝日がアメリカには存在します。
よく彼が何をしたのかわからない方もいらっしゃると思いますが、ぜひ、このような歴史があって彼の名前が残っているということは読者の皆さんも理解されてください。
キング牧師が掲げた「非暴力直接行動」の考え方は、公民権運動の指導理念となります。
学生たちは、白人専用のレストランのカウンターに座り続ける「シット・イン」を行い、人種を超えた若者たちは、隔離された州間バスに乗り込む「フリーダム・ライド」を敢行しました。
そして、1963年の「ワシントン大行進」に至ります。
25万人以上がリンカーン記念堂の前に集結し、キング牧師は「私には夢がある(I Have a Dream)」という、アメリカ史に残る演説を行いました。
人種によってではなく、その人の人格によって判断される社会の実現を訴えたわけです。
このような民衆の動き、ジョン・F・ケネディ、リンドン・B・ジョンソンといった大統領の政治的決断に動かされ、連邦議会は歴史的な法整備に踏み切ります。
1964年には、公共の場でのあらゆる人種差別を禁止し、雇用における差別も違法とする「公民権法」が成立しました。
いわゆるCivil Rightsが確立した元年です。翌1965年には、投票権の行使の差別的な慣行を禁じる「投票権法」が成立しました。
今回は、アファーマティブ・アクションを考える前置として、アメリカの公民権運動に関する歴史をざっと考えました。
長くなってしまってすみません。
しかし、現在に至るアファーマティブ・アクションの考え方はこの一連の運動が根っことなっているので、知っている読者の方々には釈迦に説法かもしれませんが、知らなかったり、朧ながらの知識しかない方にはまず理解していただきたいと思いました。
ここまでを踏まえて次回アファーマティブ・アクションについて考えていきたいと思います。
ずいぶん太陽がでている時間が短くなってきました。
本格的にハロウィンからはじまり一連の行事で一年の終わりとなっていきます。
咳をしている方々が依然多いですが、体調管理をしながら季節替わりを乗り切っていきましょうね。
それでは次回続けて考えていきたいと思います。
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