法律ノート 第1299回 弁護士 鈴木淳司
January 31, 2022
今回は皆さんからいただいている質問にお答えするのを一回お休みさせていただき、最近私が刑事事件で感じたことを考えさせてください。
ドメスティック・バイオレンス事件で思う_1299
ドメスティック・バイオレンス、いわゆるDVというのは、90年代からかなり盛んに刑事事件の視点からも考えられるようになってきました。
以前法律ノートでも考えたように、OJシンプソン氏に関わる一連の事件が世論の火付け役になったのではないかと思います。
現在では、日本でもDVに対する考え方が敷衍してきたように思います。
世の中もDVに対して広く認知し、法的問題になることが常識的になってきました。
家庭内の問題を超えて社会の問題ということになってきました。
ドメスティックバイオレンスの社会的認知から20数年
私も、このDV事件が盛り上がる頃に弁護士になり、20数年経ちました。
継続的にDV事件について、加害者、被害者、警察、検察そして裁判所の移り変わりを見てきたことになります。
私が関わってきた25年ほどの間、DVに関する教育、そして公的機関のDVに対する将来的な対応もかなり熟れてきたと思います。
DVのように継続的な暴力は無くなってはいませんが、結構減ってはきたと思います。
男性が加害者、女性が被害者…??
類型的に男性が加害者、女性が被害者というケースが圧倒的に多く、私も女性を加害者として弁護したことは数えるほどしかありません。
この類型的な考え方が各所にも暗黙に広がっていて、気づかないところで、捜査段階でも男性が加害者であろう、という事実に無関係な感覚が根底に流れているようにも感じています。
捜査記録(現在は録音やビデオもあります)を紐解くとよくわかります。
特に、警察からの質問の方法を見ると感じます。
最近では媒体を問わずニュースでDV事件を取り上げているので、一般的にも「どのようなDV事件が起きて、どのような場合刑事事件に結びつくか」ということが知恵として頭に入ってきているのかもしれません。
ネット上にいろいろな情報が流れているからかもしれません。
主張の食い違い、真っ向対立
なんらかの理由があって、一つ一つの具体的な事例において、配偶者それぞれの言い分が真っ向から食い違うというケースが増えてきていると思います。
簡単にいうとクラシックな事例では、「殴られた」と一方がいい、他方は「口論中に振り上げた手が当たってしまった」という、客観的に見たら起こった事実はさほど乖離がないといった感じでした。
しかし、近時では、一方は「何度も殴られて押し倒された、私は手を出していない」と言い、他方は「何度も蹴られて、携帯をとりあげられた。私は手を出していない」といった真っ向から違うことを主張するケースが増えました。
警察は体の傷を探すのですが、両者になにかあざや擦過傷がある、という場合もあるのです。
このような流れでDV事件が最近では変容する傾向にあるのですが、加害者とされている男性と刑事事件の方針について協議をしていると、「本当に自分はやっていない、まったくやっていない」という事例が増えています。
弁護人には本当のことを言ってほしい、といっても詳細に自身のバージョンのイベントを語り、その内容にブレはありません。
逆に、色々調査をすると男性の言っていることを補強する証拠も見つかるのです。
そのうえで、相手方被害者と話をすると(加害者弁護人は被害者の承諾があれば話ができる)、まったく違う話が聞けるのです。
一緒に住んでいる二人が、同じイベントに対してまったく異なる事実があったというのですから、事件になっていなくても、そもそも二人の間に何か問題があるのかもしれません。
裁判で争う道はあるが
私は男性側の刑事弁護人ですから、事実の認識に相違がありすぎるので、裁判まで争うしか実質的な解決策はないことを告げます。
このような場合には、最終的には両者がぶつかる主張をして、陪審員か裁判官に判断してもらうことになります。
結局、どちらに信用性があるのか、公の場で争うことになります。
かりに無罪となったとしても、刑事事件においては、掘られた穴を埋めるような作業であることは告げます。
そうすると、ほとんどの加害者男性は、「もう争いたくないです」と諦めます。
私としては、クライアントである男性が本当に信じている事実、そしてその事実を支える証拠を使って裁判をすることもできる、と言いますが、ほとんどの場合、陪審裁判までは進まずに司法取引で終えてほしい、とクライアントは言われます。
争うことに疲れているのでしょうし、はやく関わり合いを終わりにしたいという気持ちが強いのでしょう。
もちろん、真実はどちらの側が言っている内容なのか家庭内のことなので、本人ら以外は誰も確実な証言はできないでしょうし、犬も食わないのかもしれません。
司法取引に帰着させるものの
私は個人的には納得できませんが、クライアントの意向を立てなくてはなりませんので、司法取引で最大限こちらの主張をして落とし所を見つけるケースがほとんどです。
事件が終わってクライアントは安堵している表情を見せますが、私としては、本当にこれで良かったのか、なにか奥歯に挟まったような気持ちになることが少なくありません。
また、この相手方女性も自分の一度は愛したであろう男性と真っ向から争うのですから、事件のあと、どうしたいのか、長期的に物事をみているのかな、と思うこともあります。
まあ、これはおせっかいですが。
現行制度下で家庭や家族が崩壊する現実
結局、このようなDV裁判を見ていると、男女が自分の立場で言い争って、子供がいようがいまいが、「家庭」、「家族」というものは崩壊していくのです。
現在ではずいぶん、アメリカではDVに対する啓蒙が社会一般になされてきました。
まず、通報によって、加害者らしき人をすぐに逮捕するのではなく、緊急事態が起こっているような場合でなければ、安易に起訴をする前に、家庭でどのような問題があり、それが解決できないか、たとえば調停カウンセリングみたいなものを両者合意のうえで前置できないものかな、と思っています。
実務家として、いきなり家庭の問題で、有罪無罪を争うよりも、お互いの関係について観察期間を設け、一定の監視をしながら家庭を家族の一人ひとりが死守させる、という方が良いのではないかと考えています。
DVが社会的に認知され、熟してきたからこそ、次の問題解決をする大きな枠組みづくりを考えることが今重要なのではないかと思っています。
次回は皆さんからいただいた質問をまた考えていきたいと思います。
また一週間、健康に気をつけてがんばっていきましょうね。
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