心のバラ−母への追悼_1293

thankyoumom

法律ノート 第1293回 弁護士 鈴木淳司
December 12, 2021

 今回は、皆さんからの質問にお答えするのを一回休ませていただき、個人的なことを書かせていただきます。

2021年12月11日午前6時半、私の母が天国に召されました。
私は母の最期に会うことができ、母のたっての希望である喪主もできることになりました。

母は最期とても穏やかで良い顔をしていて、今にも長い昼寝から起きるのではとないかと思えました。
まだ、81歳ということで、平均よりは短い幕を閉じましたが、実はC型肝炎で長年苦しんでいたので、それでも長生きしたと思います。

そのC型肝炎は私がこの世に生まれるときに母が輸血を受けたときに罹患した可能性があり、私も東京の杉並にある病院に聞いたことがありますが、古すぎて記録が出てきませんでした。

私に命を与えるかわりに、母は肝炎を背負ってしまったと思います。
また、その事実を知ったときに、母がまず心配したのは、この肝炎が私にうつってしまうのではないかということでした。
ずっと私と母の心に引っかかっていることでした。

 母は日本でも有数の宗教団体創始者の次女として生まれました。
波乱もたくさんありました。

しかし、生涯変わりなく私と妹を力強く育ててくれました。
私も創始者の男子直系ですが、現在は母と同様に疎遠になっています。

母は、悪ガキだった私とともに一緒に色々なところに率先して謝りに行ってくれたり、離れて暮らすことになるアメリカにも快く送り出してくれました。
その母がいたからこそ今の私がいます。

いろいろな面でアメリカから私は母を支えてきました。
私も母のことで辛い思いをしたこともあります。

それでも、私は母のために自分を犠牲にして母に尽くしました。
母を心から愛していたからです。

 私は今東京でこの原稿を書いています。
2021年12月10日、コロナで自宅待機期間を終え私は顧問をしている会社の株主総会に出ていました。
この企業が、ぜひ総会に出席して欲しい、ということでアメリカから日本に呼んでくださいました。
その総会が無事に終わった翌日に母は永眠しました。

そして、その総会の前日、私は母に久しぶりに会えました。
今、思い返せば、この企業の社長、副会長、そして会社のみなさんが私を日本に呼んでくださったことで、母の最期に会うことができたので、一生その御恩は忘れません。

弱った母は私の顔をじっと見つめ涙を流しました。
手を握るととても強く握り返してくれました。
弱ってよく伝えようとする内容がわからない部分もありましたが、私に、「淳司は本当に優しい子だね」、「ありがとう」と繰り返していました。
私も涙を止めることができませんでした。

2時間弱、私は母と手をつなぎ、いろいろな話をしました。
「皆に助けられ健康に仕事をして人を救っていられるのはお母さんのおかげだよ、産んでくれてありがとう。」と心から感謝をしました。

時間が経つと彼女は天井に顔を向け、目を閉じて寝てしまいました。
寝る前に「ネイル」と言っていたようで、私は聞き取れなかったのですが、翌日、永眠する前日に私の妹がネイルを施してあげたようです。
おしゃれ好き、派手好きの母ならでは、です。
いつまでも身だしなみを気にしていたのですね。

 母は赤いバラが好きで、周りにあるものもピンクや赤が好きでした。
今回、私は母を訪れるときに、店にある赤いバラをすべて買って持参しました。
母はそのバラを見てとても喜んでいました。
そして、私が子供の頃に母がいつも口ずさんでいた、マイク真木さんの歌う「バラが咲いた」を一緒に手をつなぎながら歌いました。

母の葬儀は家族葬とし、真言宗だけではなく宗教に関わらない無宗教という形でお別れの献花をしようと思っています。
告別は12月17日に行います。
そのときには、「バラが咲いた」を聞かせてあげたいと思っています。

母はとにかく、私に会いたかったのだと思います。
私に会い、気が抜けて永眠をしたのだと思います。
ですので、告別のときも、私が堂々喪主として送り出してあげようと思います。

また、いつか母と会えるでしょう。
また小さな喧嘩ばかりすることになるのでしょうか。

 母が物理的に姿を消したとしても、私の心の中に母というバラの花は、これから永遠に咲いているでしょう。
母は生前、私を自慢の息子と言いふらしていたと周りから聞き及びました。
私に会うと文句ばかり言っている人だったのですが、心では私のことが一番大事だったのでしょう。

母が永眠した今でも、母がどこかに行ってしまったとは、まったく思えません。
いつもどこかにいるのだな、という感覚があります。
これからもずっと私を守ってくれるのでしょう。

悪ガキだった私は弁護士になり、妹は看護師になりました。
母は二人が「護」る、という字が入った職業につき、人を助けていることを誇りに思うと生前何度も言ってくれました。

これからも母は私に宿り、人を助ける手助けをしてくれると思います。
私の心には素敵なバラが咲きました。
また、会いましょう、お母さん。

「バラが咲いた」
浜口庫之助作詞・作曲
参照 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/baragasaita.html

バラが咲いた バラが咲いた
真赤なバラが
淋しかった ぼくの庭に
バラが咲いた
たったひとつ 咲いたバラ
小さなバラで
淋しかった ぼくの庭が
明るくなった
バラよ バラよ 小さなバラ
そのままで そこに咲いてておくれ
バラが咲いた バラが咲いた
真赤なバラで
淋しかった ぼくの庭が
明るくなった

バラが散った バラが散った
いつの間にか
ぼくの庭は 前のように
淋しくなった
ぼくの庭の バラは散って
しまったけれど
淋しかった ぼくの心に
バラが咲いた
バラよ バラよ 心のバラ
いつまでも ここで咲いてておくれ
バラが咲いた バラが咲いた
ぼくの心に
いつまでも 散らない
真赤なバラが

どうぞ安らかにお眠りください
We are here for you.
JINEKN.COM一同

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作成者: jinkencom

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