法律ノート 第1012回 弁護士 鈴木淳司
June 22, 2016
対人戦とコンピュータ戦
「ロス」というAIがニューヨークの大手法律事務所に納入されたことが話題になっています。どうも弁護士業務の一部をAIで代替するシステムのようですが、法律のリサーチなどをやってくれるそうです。統一法のないアメリカではリサーチをする部分は時間もかかる作業もありますから、かなり助かることになるのではないでしょうか。法廷での弁護士や裁判官の仕事はなかなか代替がコンピュータではできないでしょうが、そのうち人造人間が出てきてやってくれるのでしょうか。そうしたら何をやって食べていきましょうかね。
さて、今回は一回皆さんからの質問にお答えするのを休ませていただき、最近私が体験したことを書かせてください。
最近、将棋の教室に行く機会がありました。お金を払って体験教室に参加させてもらったわけです。
将棋は、コンピュータを使って、それなりに時間をみつけてやっているのですが、実際の将棋教室に参加するのははじめてでした。強い先生にまずは棋力を見てもらうということで、ある程度その先生と最初打たせてもらい、実力を見てもらいました。その後、手を抜いてくれた指導者の方が私に勝たせてくださり、もう一番似たような棋力の方と勝負をさせてもらいました。なんとか勝ったのですが、本当に疲れました。まさに、訴訟で闘ったあとのように疲れました。いつも将棋の対局後に勝った棋士がどうして飛び上がって喜ばないのかという疑問を持っていたのですが、能力を使いきって、疲れるのだということを自分で体験しました。
体験教室の参加だけだったのですが、人と将棋を打つということは、まったくコンピュータと将棋をやるということとは違う何かがあるということを、はっきり習いました。
よく、若い弁護士先生に対して講演をしてくれとか、一緒に飲んでくれ、という要請があって話をするのですが、聞かれることは「どうやってクライアントを得ていくのでしょうか」ということです。弁護士としてどうか、ということではなく人としてどうか、ということに尽きると思うのですが、それを場面に応じてどのように表現するのか悩みます。
私は若い学生などに弁護士の仕事を説明するときに、保護者のような仕事だよ、親父やおふくろさんのような仕事だ、と言います。悪いことをしたらたしなめるし、悪くなければ全力で守る。そういう仕事だと言います。
だから、時間を一緒に過ごしてその人はどういう人なのかを知ることで、事件をどう解決したらよいのかを考え、そして話をしていくのです。法律的なことだけではありません。色々、人としての話をしなければなりません。信頼を得るのには時間がかかります。
一方で信頼を失うのは一瞬です。そういった、人との関係というのはなかなか学校では教えてくれません。そういった関係を習うのが学校なのでしょうが、学問の吸収に一杯一杯になってしまうのが現状でしょう。私も同様でしょうが、今の社会ではITが発達しているので、情報はどのようなものでも机に座っていれば手に入ります。その情報を選り分けて、判断するのは自分です。
しかし、その自分の判断能力を鍛えてくれるのは、結局自分以外の人なのだと思います。人との対話によって得るものは計り知れませんね。
知らない人と対面して将棋をやったことで、私は単にコンピュータで指すよりも、遥かに何かを得たように思いました。
もちろん将棋がコンピュータにプロも勝てなくなってきたなどという話を聞きますが、それはまったく別のジャンルの勝負なのだと思います。将棋もある意味人と人との対話ですので、面前で真剣勝負をすることにより、習うことは計り知れないと思いました。
できれば20年後に私が生きていれば、今回の法律ノートを読み返してみたいと思います。
ここで書いていることが単に古いのか、まだ、私が感じたことが生きているのか興味があります。人間同士の対話が20年後にはどのようになっているのかを見てみたいと思います。