法律ノート 第1021回 弁護士 鈴木淳司
August 18, 2016
「初心ーエイズ・HIV罹患者に特化した弁護士紹介サービス団体を訪問して」
数日間、日本弁護士連合会の調査に参加して、弁護士紹介サービスの情報を収集するための通訳を兼ねていろいろな訪問先を廻っていました。
複数の弁護士会で話を聞きましたが、最後に訪れたのはサンフランシスコ市内にあるエイズ・HIV罹患者を対象に特化した弁護士紹介サービスを行っている団体でした。サンフランシスコのダウンタウンから離れた寂れたビルに日本の調査団と訪問をしたのですが、私は、通訳をしている途中胸が詰まって涙がでてしまいました。不覚でした。
サンフランシスコはいわゆるLGBTと呼ばれる人口が多い場所で、今回の調査先もサンフランシスコに特有の団体でありました。80年代からボランティアで組織され育ってきた団体ですが、かなりの偏見や医学的知識の未発達の影響で、かなり風当たりが強い状況から現在に至っているという話を聞きました。エイズやHIVという症状は個人の好みで発症するわけではありません。しかし、この症状が経済的な破綻を招いたり、様々な偏見を招いたりしてきたことは事実です。
いわゆる消費者事件で、かなり裕福な個人でも、お金を騙し取られていれば、経済的弱者、そして消費者といった立場で訴訟をする人達がいますが、深刻な医学的な症状を持った人とはまったく違う次元の話のように私は思います。自分の意思に基づいて何かが起こったわけではないことが多いのだと思います。
偏見に晒された人達を80年代から守ってきた団体に、日本から来た弁護士の調査団と私は話を聞きに行ったわけです。
その団体を統括する人が出てきて話を始めました。
弁護士ですが、元ヒッピーみたいな感じの人です。その人はもう30年以上、訪問先の団体に関わっています。関わったきっかけは、エイズ患者でもうすぐ死期を迎える人の遺言を作成する業務を、私たちが訪問した団体で学んだことだったという話をしてくれました。
今では長い白髪をまとめている彼も、80年代は若い弁護士だったのでしょう。医学的にもまだよくわかっていないエイズ患者の遺言をつくりながら、当時では誰もコントロールできない人の死を目の前にして、何を思ったのでしょうか。
もう20年以上前に私も弁護士になり、自分から望んでいなくても貧しい環境に置かれた人達のために地域弁護士会を通して報酬無料の弁護を続けていました。特に立退きを迫られている家族のために弁護をしていました。お金の話ではなく、起臥寝食の話です。その弁護活動が評価され、裁判官に任官されました。
今回の日本弁護士連合会の調査で私は通訳をしていましたが、通訳をしているときに、裁判官としての思い出が頭をよぎりました。わたしが裁判官として事件を担当しているときに、エイズ・HIV患者が絡んだ事件がありました。一つではありません。立退裁判の被告となっているエイズ罹患者が、今回訪問した団体所属の弁護士に支えられて、かなり深刻な健康状態にあるにもかかわらず出廷していました。弁護士は可能な限りの法律の弁論もしましたが、弁論というのは法律だけではありません。弁護士の思いというのも法廷で確かに感じました。
今回の訪問前にはあまり考えていませんでしたが、私が通訳をしながら、私の前で話をしている熊みたいな弁護士が、1980年代から実はかなりの偏見に晒されている人達を守ってきたのだ、ということを思い、私自身もボランティアでかなりの数の立退き事件を弁護し、そして、裁判官としてもエイズなどの症状がある人達に携わってきた経験が蘇り、不覚にも涙が出てきてしまいました。
私も食べていかなければなりませんから、やはりお金のことは気になりますし、他の職業と同じように収入や支出には気をつけなければいけないのかもしれません。一般的にはカネゴンみたいな弁護士もかなりの数いるのだと思います。特にアメリカでは、営利的な傾向がある弁護士ほど、大事務所に属して、お金の管理をしたりされたりしているのが現実だと思います。資本主義のお手本みたいですね。それが「弁護士として良いか」というと、少なくとも私はよくわからないのが本音です。
今回、日弁連の聞き取り調査の訪問がきっかけで、私は涙しましたが、そのことで、初心に戻って、自分が純粋に弁護士になった原動力は何かということを考えさせられました。
日本人は憲法13条にある「幸福追求権」というのをよくわかっていないのでもったいないと思うのですが、私の幸福は「人を幸福にすることで、自分も幸福になる」ということだと信じています。地道な話ですが、金銭的な話しではなく、人を幸せにすることで自分も幸せになりたいと切に思っています。そして、今回の訪問をきっかけにまたボランティア活動を活発にやっていきたいと思います。