法律ノート 第1039回 弁護士 鈴木淳司
December 29, 2016 – the final letter of 2016
「2016年を締めくくって」
今年、2016年最後の法律ノートになりました。今年の最後は、かなりノックダウンされるような風邪(もしかしたらインフルエンザかもしれませんが)をひいて、私の所属する事務所のホリデーパーティーにも出られないかもしれない状況になりましたが、つつがなく一年の締めくくりも終わりました。何よりも健康が大事だと最後の最後で思い知らされました。
今回は、皆さんのご質問にお答えするのを休ませていただき、私が考えていることを書かせてください。
2016年は皆さんにとってどういう年だったでしょうか。私の所属する事務所にとっては、色々波乱万丈なことがあり、弁護士を20年間やってきて、「大変だなぁ」と思う年でしたし、色々人に泣かされ、人に助けられる年でありました。思い返すと、世の中には不幸な人がたくさんいるのだな、と思い知らされました。自分が幸せでない人は、連鎖を求め、人を色々な形で不幸にしようとします。私や、私の所属する事務所は、色々な問題があったのですが、結局一切影響もなく、滞りなく一年を終えられました。年末になってみると、結局一切不幸を寄せ付けず、平穏無事に年末を迎えられました。良い一年だったと思います。
以前、私はある学校の理事をしていました。その学校で教えていた教師と仲良くなり、いまでも親交を続けています。数日前、80代になっている彼女から、法律相談があるということで、電話で話をしていました。彼女はもともと、台湾出身ですが、東京の国立大学で教育を受けた才女です。私の中国語の先生でもあります。時折、私の書く法律ノートを読んで、コメントをしてくださり、わざわざ私の事務所まで私を訪ねに来てくださいます。なぜ、彼女のことを私が考えているかというと、人間にとっての「幸」と「不幸」ということです。日本にもアメリカにも憲法には、幸福(Happiness)と書かれていますが、法に書かれていても、どれだけの人がその本当の意味に一生のうちに出会えるのか、と思いを馳せているからです。幸せな人は、人を幸せにします。不幸な人は人を不幸にします。だからこそ、人は自分が幸せにならなければならないのでしょうね。
この私の中国語の先生でもある方は、台湾出身で、太平洋戦争のときに辛酸を舐められました。国民軍と共産軍の争いに巻き込まれ目の前で親族を失うという悲惨な経験を経て、東京の国立女子大で学びます。台湾出身で、日本の国立大学の法科を学んだ人と結婚をし、次女を妊娠中に、日本政府の行政事情から、日本にいれなくなり、台湾に戻らなくてはならなくなります。日本のやりそうなことですが。彼女と夫に蓄えはありません。彼女は先生をしていたので、その教え子が飛行機代を出してくれて渡米します。所持金は20ドル。サンフランシスコの日本街近くにあった難民収容所で、数十人とキッチンとシャワーを共有し、次女を生みます。次女を産んで数週間後、朝から夜中の1時過ぎまでレストランで働き、家を借り懸命に生活をしていきます。息もつけない、つかない生活が続きます。長女は医者になり、次女はニュースキャスターになりました。子供は育ち、彼女は私が理事をする学校の教師として子供たちに日本語を教えていました。
彼女は、私の書く法律ノートを読んで、ときには、わたしの事務所にお菓子を持って遊びに来てくれます。80代のかくしゃくとした女性がリュックを背負って、私と話に来てくれるのです。彼女の一生というのは、本当に苦労だけではなく、生死にもかかわる状況を通って成立しています。彼女の話を聞くと、私は日本人として胸が詰まります。
前回彼女が私に会いにわざわざ来てくれたときに、「鈴木さん、私、学生やっているのよ」と言って、州立大学の学生証を見せてくれました。「しばらく行っていないので、退学になるところだったけど、話をして、また修士をとるの」といって、誇らしげに、勉強をしている内容を教えてくれました。「歳だから、いつどうなるかわからないけど」と笑っていました。
彼女が、自分が子供の頃から生死をさまよい、日本で勉強し、日本に留まることをせずに、アメリカに来て子供を育て上げた過程を良く知っているわけですので、彼女の前向きな姿勢、いつまでも習いたい、いつまでも、向上したい、と思っている「心」に、胸が詰まります。本当に、胸が詰まるのです。彼女は、私に言います。「色々あったけど、私は今、本当に幸せなんだと思う」と。お金や物では人は幸せになりません。人に恵まれなければ人は幸せになりません。しかし、抽象的に思っていても、幸せというのは感じられません。自分が苦労して、数十年、いや、百年、自分をよくしていこう、周りもよくしていこう、という気持ちがあって幸せになるのですね。幸せというのは、訪れるものではなく、自分で勝ち取るものだということだと思います。三木清のいう、幸せと成功の違い、というのは、こういう本当に苦労した人でないと語るべきではないと思っています。
2017年、私も自分の幸せが何かを探していきたいですが、法律ノート読者の方々も、自分の幸せというのは何か、自分で探してみてください。待っていても幸せというのはつかめないかもしれませんね。自分で、どんどん探しにいきましょう。また、来年もどうか法律ノートを宜しくお願いいたします。